1限 中国語 13課を復習して14課を行いました。次回は発音のテストをします。
2限 研究基礎 姚さん覇王別姫 李さん銭雲会 路さん里見弴 王さん葉霊鳳
発表、計画はしっかりしている。中身を具体的に示すこと。
3限 休み
4限 概説
12章 華人世界 ドラゴン(龍)の末裔、そのルーツとアイデンティティ
全球華語辞典 1、中国人 2、居住国の国籍を取得した中国血統を持つ外国公民
漢族を中心とした中華系の人々 外国居住者 中国大陸、台湾、香港、マカオを除く
海外に住み居住地の国籍を持つ 華人 中国国籍を持ちながら僑居(仮住まい)華僑
1980年代以降 中国人海外留学の増加 70年代以前 老華僑の世代交代
血統、文化的ルーツ、国籍では単純に区別できない 華人=華人+華僑
陳天璽『無国籍』祖国を離れ、国籍や国民性でははかれない多様なアイデンティティ
華人のルーツ
帰化、世代交代、現地化 華人人口3000万人 8割は東南アジア
『華人社会がわかる本― 中国から世界へ広がるネットワークの歴史、社会、文化』
明代、東南アジアへの移民 華人商業地区 海上貿易 福建省、広東省、海南島 東南アジア交易
19C ヨーロッパ植民地政府統治下の東南アジア 苦力(クーリー)非熟練労働
19C後半 群衆蜂起 中国国内の混乱 移民増加 小売り、貿易、軽工業 華人商人
海外へ 地縁、血縁を頼って移住 親類縁者の経済的な支援で出国、呼び寄せる移民の連鎖
1911年 辛亥革命以降 外国の侵略、内戦、戦争 国内の混乱から避難 大規模な移民
日中戦争期 国民政府を援助 日本に占領されたマラヤ(マレー半島南部)華人青年 中国に赴き祖国のために戦う
1949 中華人民共和国成立 共産主義にくみしない国民党勢力が海外へ流出
東南アジア諸国 中国との接触に慎重 居住地と中国の二重国籍 後に移民の動きは停滞
1980 国籍法 華人の二重国籍を否定 華人の世代交代 居住国に生まれ育った2世3世
中国との関係が希薄化
シンガポール首相(当時)リー・クアユー(李光耀)「華人の生存と繁栄は居住国とともにあり、その環境に適応することがかれら自身の利益である」
冷戦終結後 中国は華人の居住国との国交を回復 東南アジア諸国との交流も自由化
華人資本の直接投資 留学生の受け入れ シンガポール中国人の労働、帰化を歓迎
居住国の同化の強制 他民族との軋轢 排華運動
マレーシア マレー人を優遇する政策 ブミプトラ 華人に対する制限
政策、他民族との関係によって、華人の環境、国民としての権利は一様ではない
多様化する外国人移民問題 研究の視点も変化
『世界華人encyclopedia百科事典』『華僑・華人事典』『華僑華人―ボーダレスの世紀へ』
華人のまち、チャイナタウン
横浜・神戸・長崎 チャイナタウン 牌楼(パイロウ)赤いランタン、漢字の看板の洪水
チャイナタウンはその国の華人がおかれた経済・文化・政治状況が反映される
横浜中華街 1859年 横浜開港 欧米商人に連れてこられた中国人 取引の通訳仲立ちをする中国商人「買弁」三把刀(サンバータオ)理髪業・裁縫業・調理業 商人が多い 低湿地帯中華街の始まり
16C 長崎 唐人交易 唐人屋敷に限定 通商は認めるが非熟練労働は禁じる
横浜 広東省出身 「郷幇」同郷人組織 「会館」同郷人の集会所 地縁・血縁・業縁
「華僑三宝」華人団体・華人新聞・華人学校 華語によって華人アイデンティティ形成
1952年 台湾国民党 中国共産党支持派で分裂 国慶節10・01 双十節10・10武昌蜂起
関聖帝君(関羽様)は西暦160年、河東郡解良県常平村(現・山西省解県)にて 旧暦の6月24日 に生まれたと言われています。幼少の頃から祖父、関審に手ほどきを受けて『易経』と『春秋』を学び、これらの書を常に愛読していたそうです。
18歳のとき、関羽様は誤って豪族の一人を殺害してしまい、涿郡に逃げました。そこで関羽様は劉備・張飛という武将仲間と出会い、深い絆で結ばれ、義兄弟の契りを交わします。3人の武将はそれぞれ、劉備が長兄、関羽様が次兄、張飛が末弟と決めました。桃園にて彼らは、国を平定し、死ぬまで国のために尽くすことを誓ったのです。
後漢王朝の滅亡後、3人の武将は蜀を建国し、劉備をその領主とすることを志しました。関羽様と張飛の献身的な支えにより皇帝となった劉備は、蜀の国の基盤を強固にゆるぎないものとしました。
西暦219年に関羽様は関平とともに曹操と孫権の連合軍に捕らえられ、58歳で処刑されました。蜀と劉備一族は関羽様の忠義と貢献を称え感謝する廟を建立し、その後も数多くの王朝がそれに従いました。
優れた将軍であるだけでなく、関聖帝君は古代中国で広く使われた算盤の発明者でもありました。中国の商人や実業家は、関聖帝君が責務を果たす上で示した洞察力や誠実さを非常に大切にしました。弱い立場の人々の忠実な味方でもあった将軍は、関聖帝君として崇拝されるようになりました。中国全土や世界中に何千もの関帝廟が建てられています。今日、関聖帝君は一般的に商売繁盛と富の繁栄をもたらす神として崇められています。HPより
馬祖廟
生まれて1ヵ月も泣き声をあげないため、「林黙娘(りんもうにゃん)」と名付けられた林氏の娘は、小さい時から才知に長け、10歳の頃には朝晩欠かさず念仏を唱え、16歳で神から教えと銅製の札を授けられたといわれています。神通力を駆使し、むしろを用いて海を渡り、雲に乗って島を巡回し、札の力で悪や災いをしりぞけ、病を癒す彼女を人々は、「通玄の霊女」と尊敬の意をこめて呼ぶようになりました。28歳の9月9日に修行を終え天に召された後も、赤い衣装をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られたので、人々は廟を建てて護国救民の神様として祀るようになりました。その神通力は国に広まり、歴代の皇帝も「天妃」「天后」「天上聖母」などの名を贈り敬意を表しました。「媽祖」は、航海を護る海の神様としてのみならず、自然災害や疫病・戦争・盗賊から人々を護る女神様として、現在でも中国大陸・台湾はもとより、華僑が住む世界各地で信仰されています。文化や生活様式が全く異なる諸外国に移り住み、その地の人々や環境と融合しながらも伝統文化を崩さずに、確固とした立場を築いて地域社会の繁栄の一翼を担う華僑にとって、「媽祖」は心のよりどころとなっています。HPより
横浜中華街 関帝廟 1986年失火 90年再建 分裂していた横浜華人が協力 政治的対立を乗り越えて共栄の道を模索する華人の知恵
5月横浜中華街「関帝誕」、神戸南京町「春節祭」長崎新地中華街「ランタンフェスティバル」 「獅子舞」「龍舞」華人の三世四世 ジュン・グエン=ハツシバ 海中の龍舞
1,LeeLi 2,Zhang 3,Wang 4,Nguyen 李 張 王 阮
横浜開港資料館 神戸華僑歴史博物館 陳優継『ちゃんぽんと長崎華僑―おいしい日中文化交流史』
新世代の移民 新華僑
譚潞美・劉傑『新華僑 老華僑―変容する日本の中国人社会』
ABC アメリカン・ボーン・チャイニーズ 高学歴化 都市中産階層化 国籍は国際的に活躍するためのパスポート
新興チャイナタウン 東京池袋
山下清海『池袋チャイナタウン―都内最大の新華僑街の実像に迫る』
新興チャイナタウン 欧米、ロシア、南米、アフリカ 改革開放 出国ブーム
飲食店、旅行業、不動産業 多角的 新たなビジネスモデル 未知の可能性を求めて国境を超える 越境
泉田英雄『海域アジアの華人街チャイナタウン―移民と植民による都市形成』
山下清海『東南アジア華人社会と中国郷僑―華人・チャイナタウンの人文地理学的考察』
世代国籍を超えて愛される歌手テレサ・テン鄧麗君
有田芳生よしふ『私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実』
華人にとって祖国とは何か 台湾で生まれ中国で歌うことを願った歌手
1980年代初めには、中華人民共和国でもコピーされた彼女のカセットテープが出回る1930年代に中国で流行した「何日君再来(ホーリーチュンツァイライ)」(作詞:貝林 作曲劉雪庵)のカバー。
昼は鄧小平の天下だが、夜は鄧麗君の世界だ 「昼は鄧小平の話を聞き、夜は鄧麗君の歌を聴く」「中国は2人の鄧に支配されている」日本では「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」 が大ヒット。
一つの国家、一つの民族、固有の文化を想像させるナショナリズム
居住国の他者 華人は抑圧を受けやすい 他者の異質性によって客観的な自己を知る
19C ヨーロッパによる東南アジアの植民地支配 労働力としての苦力クーリー
帝国主義の産物
第二次大戦 日本軍が東南アジアに侵攻 マラヤの華人抗日支援 多数が粛清される
張貴興『像の群れ』歴史を語りなおす 華人の抱える政治的・民族的葛藤を読み解く
戦争、未曽有の災害、大規模な危機はナショナリズムを発動しやすい
安井三吉『帝国日本と華僑―日本・台湾・朝鮮』非熟練工の入国取り締まり
→ 日中戦争 労働力不足 労働者の強制連行 賠償要求を退けるために送還
李建志『日韓ナショナリズムの解体―「複数のアイデンティティ」を生きる思想』
ふたたび、華人とはだれか
村上由見子『イエロー・フェイス―ハリウッド映画にみるアジア人の肖像』
映画「散り行く花」1919 細くつりあげられた目 他者としての華人
アン・リー(李安)「ウェディング・バンケット」1993 他者化される華人
ヤスミン・アフマド監督マレーシア映画「細い目」異文化間の垣根を超える
ジャワ島 華人によるマレー語文学「ラナカン文学」
日本統治期の台湾人作家による日本語文学
言語、国境を揺さぶる 華人とはだれか
天安門事件 亡命 鄭義 映画「亡命」 アメリカで中国語で書き続ける
台湾生まれ、日本語育ち 温又柔『来福の家』
イーユン・リー 李翊雲 北京で生まれ育ち大学卒業後に渡米 『千年の祈り』
新たに手に入れた言語だからこそ、自由に中国人の物語が書ける
「境界」にどう対峙するか
他者←→自己 自己認識 中国人←→華人 自己認識 本土意識
中国人←→香港人 日本人←→外国人
自己でないものが他者である。したがって,他者はつねに自己との関係のもとで理解される。すなわち,自己を自己として認める際に,必ずそこに他者認定が介在しており,また他者を他者と了解する場合にも自己認識が介入していると言える。
「私」は誰によって定義されたのか。
「私」は「本来の私であろうもの」から離脱して「客観的な私」として登場している。
つまり「客観的な私」と「本来の私であろうもの」とが分離している。他者が到来することで客観的私が認識される。他者によって私の独自性が指摘され、客観的な私と本来の私が統合された私がもたらされる。
自己を民族、国家に敷衍化して思考すれば、他国や他民族が自国自民族を認識させるのである。