牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

失感情 

授業は1月中に修了したが、後期分の採点成績、来年度のシラバス入力、入試業務のほか、2月は11日間、別の仕事があった。結構忙しく、今頃やっと日記を書くことができた。

 

卒論の発表は13日、私の指導した男4人組は、まずまずの内容の卒論ができた。ねそべり族、中国におけるキリスト教弾圧、民国時期の女性像、民国時期のスポーツ。

修論は主査ひとり、副査二人。ティックトックの模範的人物像、日本のドラマの中国での受容、民国時期の女性画家。

博士論文副査。これは講評が出るので、内容には触れないが、戦中から毛沢東時代の書誌学的なもので、出版の詳細だけの記述で、核心に触れていかないものだった。

 

最近ずっとモヤモヤしている。何の遠慮もないはずの、中国人留学生が、自己検閲しているようなスッキリしない論文を書いている。若い人が正直に生きられない。実に悲しい時代になっている。そういう学生に自由に書けと言えない。覚悟しろとも言えない。あるべき姿は見えているけど、強制はできない。核心に触れない無難なもの、生ぬるいものが出てくる。こうして独裁は、自由を奪い文化を破壊していくのか?このまま中国の若い人は感情を抑えていくのだろうか。

 

妻、阪本ちづみの納骨は7回忌を過ぎた昨年やっと済ませた。西日暮里の青雲寺に眠っている。その後、役目が終わったかのように2匹の猫は死んでいった。とても寒い日と、とても暑い日だった。娘猫は丸い猫ベッドのかたちのまま丸く硬くなっていた。母猫はよく入ってきた風呂場で子に撫でられながら朝方に亡くなった。わたしは泣かなかった。

韓国のソン・ウォンピョン『アーモンド』の主人公ユンジュのように、わたしも感情が失われているのだろうか?あるいはこれももう少し生き残るための心の防衛本能なのか?

アーモンド