牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

オープンキャンパスのレジュメができた。



オープンキャンパス2013.pdf 直
埼玉大学教養学部オープン・キャンパス 日本・アジア文化専修模擬授業2013年8月28日(水)牧陽一@muyangyi
「北京のワル@aiww@zuzhou」使用予定映像 Ai Weiwei Never Sorry予告編 鳥巣 草泥马style 克瓜子 など YouTube
艾未未 がい・みみ アイ・ウェイウェイÀiWèiwèi1957−現代中国の美術家・建築家。北京生まれ。詩人艾青の次男、艾青が下放され、ともに新疆ウイグル自治区などで幼年期をすごす。 20年近く屈辱的な生活を強いられた。
1978年北京電影学院に入学、中退。79年星星画会に参加。 民主化運動を体験する。
1981年〜1993年アメリカ、ニューヨーク等在住。パーソンズスクールオブデザインなどで学び(中退)、詩人ギンズバーグらと交流。人権運動に参加。マルセル・デュシャンの影響が見える。 結局は不法滞在者
帰国後、北京東村のアーティストを見出す。地下美術雑誌「黒皮書」(1994)「白皮書」(1995)「灰皮書」(1997)を出版し、若いアーティスト中国前衛芸術を擁護した。
2000年には上海で「不合作方式」展を開催し、死体派の作家を輩出した。
2000年、北京草場地にフェイク・スタジオを建設したが、後に草場地一帯が芸術区へと発展する。
2003年ごろからヘルツォーク&ド・ムーロンと共に国家体育場通称鳥の巣の設計を担当、関連催しへの参加を拒否、演出したスピルバーグ張芸謀らを批判。 オリンピックは単なるプロパガンダだった。
2007年タトリン「第三インターナショナル記念塔」を模したシャンデリアをリバプールの港に浮かべた「灯光噴泉」発表。 世界革命を目指していたはずの共産党の腐敗を揶揄した。
2007年「ドクメンタ12」では1001人の中国人をドイツ、カッセルに招くプロジェクト「童話」を行った。
2008年四川大地震の際、手抜き建築による被害責任を追及、犠牲者の名簿をブログに発表。
2009年国家政権転覆扇動罪に問われた譚作人の証人として成都へ、警察に殴打され、頭部を内出血。
2009年森美術館アイ・ウェイウェイ何に因って?」。
2009年ドイツ・ミュンヘン美術館(個展)「So Sorry」≪Remembering≫で四川大地震の犠牲者を追悼。
2010年上海万博にはコペンハーゲンの人魚姫が出品されたが、その代わりに、万博会場の監視カメラに映った模様を放映
2010-2011イギリス・ロンドン・テートモダン、1000平方メートルの床一面に1億粒の磁器製ヒマワリの種を敷き詰めた。
2010年四川汶川の4トンの石をオーストリアダッシュタイン山頂に置く。
2011年「ひと周りの獣、12支の頭」アメリカ・マンハッタンのピューリツァー噴水に十二支の動物の頭をかたどったブロンズ像を並べた。円明園十二生肖獣首銅像の奪回で愛国心を煽る政府を批判。
2011年Art Review Power 100 第一位。
2011年4月3日 香港へ出国しようとしたところ拘束され行方不明、6月22日保釈。現在も自宅軟禁状態、不正な裁判による脱税罪に問われている。
釈放以降、本人不在のまま、台北、ワシントン 現在はイタリア、カナダなどで個展開催。
艾未未が作品の中で展開していったのは、古典的工芸を現代アートによって異化させていくことだった。
陶磁器、家具工芸、木造建築…物の機能からの解放は、人の存在の意味や必然から些細な生活、仕事などすべてからの解放さえ意識させるに至る。作品の表出の一部は、解放や自由の概念の可視化ということが可能だろう。
古典以上の偽物をつくることで古典にある権威を削除する。
草泥马挡中央=肏你妈党中央  艾未未の悪ふざけパフォーマンス。20090605アルパカのぬいぐるみであそこを隠してジャンプしている。意味はアルパカが真ん中をさえぎる→ファックユー中国共産党中央
「草泥馬之歌(アルパカの歌)」。これはアルパカが平和にマラガビという高地に住んでいたが、河蟹にオウツァオ臥草を食べられてしまう、アルパカ族とカワガニ族の戦いである。艾未未が開催した「河蟹」he2xie4を食べるパーティーは「和諧」he2xie2社会をつくろうとする政府側との戦い、アルパカ族(公民)とカワガニ族(政府)の戦いを示していた。
理髪シリーズも「理髪」→「理法」「立法」
「十八裸漢」は「十八羅漢」だが「裸官」(家族、資産を海外に移して自分だけ中国に。いつでも脱出できる)への風刺。
四川汶川大地震20080512以降手抜き工事の学校倒壊で亡くなった小中学生の名簿をつくる
震災一年、亡くなった子供たちの誕生日をブログに
2009年05月28日夜 3つのブログが封鎖される
2009年08月12日成都警察に殴打され、頭部を負傷、映像「老媽蹄花」ユーチューブなどに公表
2010年02月22日 強制立退き反対 長安街デモ 
2010年11月07日 上海へ、自宅軟禁 上海の壊されるアトリエ前で河蟹パティー
2010年12月02日 韓国へ、空港で拘留 
2011年04月03日 香港へ、空港で拘留81日間行方不明
2011年06月22日 保釈自宅軟禁パスポート没収 猥褻罪、脱税容疑
2012年07月20日 脱税罪不服裁判、出廷を阻止される
艾未未アイウェイウェイとボディメディア自由空間AiWeiwei and Body Media Free Space1、ヘルタミュラーとの会話
 わたしがヘルタミュラー前回(2009年)のノーベル文学賞の受賞者、彼女と会話した時、彼女はネットの効用について懐疑的だった、若者は社会にすぐさま変化が起こるかのようにインターネットに感激しているが、イランを見てみればいい、全ての独裁政権は非常に傲慢だ、彼らは捕まえるべきものは捕まえ、殺すべき者は殺す、イラン革命はやはり根本的に不可能だ。確かに残念なことだ。だが私たちには他の方法はない。私は例を出して彼女に話した。私たちは真っ暗な部屋の中にいる、一つの光しかない、私たちには一本の蝋燭しかない、まさかそれを吹き消しはしないだろう?だから別の方法がない状況下で、ネットは一つの可能性であって、この可能性が中国にとても大きな変化をもたらすのだと思う。 (『艾未未読本(アイウェイウェイどくほん)』125p
2、長安街でのデモ AWW・・・直接ツイッターで私たちは長安街に着いた、長安街を歩いている、スローガンを叫んでいるなどとつぶやいた。翌日にはニューヨークタイムズなどメジャーな新聞が全て報道した。この世界は素晴らしい、メディアもいらない、私たち自身がメディアなのだ。10数人のデモ、私はツイッター長安街で最も小さいが、最も影響力のあるデモを遂行したと報告した。(『艾未未読本(アイウェイウェイどくほん)』134p
2010年2月22日未明 芸術村「創意正陽芸術区」で、立ち退きを強要する男ら約100人が建物内にいたアーティストらに暴行し、数人が負傷した。艾未未ら20人の関係者はこれに抗議、「公民権利」「犯人を厳罰に処して、闇の巨大な悪を排除しよう」と長安街をデモ行進した。
3、ネット社会は共産社会 Q核心的な精神あるいは価値は出現しますか? AWW不断に出現するだろうが、核心はそう重要ではなくなった。核心の目的は人が不断にそれを転覆させるように誘惑することだ。最後の核心は個人の身に戻るのかもしれない。「人々は私のため、私は人々のため」という状態が第一に現れる。それがネット社会であり、ネット社会は共産主義なのだ。 Qあなた個人の価値の核心は何ですか? AWWそれは他の人間が私を「共産」してくれることだ、私は他人が私を利用すること、他人が、おっ、こいつはちょっと使えるぞと思ってくれることを望んでいる。・・・ (『艾未未読本』219p
反日愛国運動が盛んになった9月17日、艾未未ツイッターで「プロレタリアートには祖国は無い、奴隷には領土は無い。(无产阶级没有祖国、奴隶没有领土。)」また「釣魚島が誰のものかよりも中国が誰のものかを考えろ」と狭隘な愛国主義を批判
2012年10月24日には「江南スタイル」をパロディーにした「草泥马style」をユーチューブに公開
2013年4月27日ワシントンポスト艾未未は「中国公民が恐怖を克服して勇気ある社会を築くことを呼びかけた。」
5月17日香港で艾未未は「粉ミルクの国」を発表。1815缶の粉ミルク缶で横10メートル縦8メートルの中国地図をつくっている。2008年には中国でメラミン入り毒ミルク事件が起き、6人の嬰児が死亡している。
2013年5月8日海南省で、小学生の校長ら2人が女子小学生6人をホテルに連れ込み、暴行した。広西省に住む女性活動家・葉海燕(37歳)は、女子小学生らとホテルに泊まった小学校校長が勤めていた小学校の前で「校長先生、Hしたいなら私を呼んで、小学生には手を出さないで(校長、開房找我、放過小学生)」 という内容のプラカードを持って抗議した
5月22日 日本時間11:00艾未未のアルバム《神曲》の一曲「傻伯夷」がユーチューブで公開 /殴ろうとすれば、奴は非暴力だと囁く。/耳をつねれば、それでも下痢は治らないと言う。/マザーファッカーと罵れば、奴は、天下無敵だと言う。/あたり一面キクの花。―ここに現れた「菊花开遍原野」の菊の花は、自由を求める大衆の象徴。監視するものを監視する権力の逆転薄煕来裁判2013/08/22-報道の自由がない。政府は裁判を公開していない。都合の悪いことは隠蔽し、人々に記憶させたいことだけ記憶させる。
参考文献:牧陽一編『艾未未アイウェイウェイ読本』(集広舎)
「Ai Weiwei:Never Sorry」監督 アリソン・クレイマン アイ・ウェイウェイ 製作年 2012年 製作国 アメリカ  配給 キノフィルムズ  2012年(第28回)サンダンス映画祭でドキュメンタリー審査員特別賞を受賞。 2013年秋 日本公開予定
左小祖咒ZuoxiaoZuzhouズオシャオズージョウ北京で活動するミュージシャン、アーティスト。中国ロックミュージックのスター。本名は呉紅巾。1970年3月4日、南京に生まれる。「お前は銃を投げてよこした。俺だってそいつを使わないとは言ってはいない。おれは誰かを殺すのにそいつが要る。昨日、俺は悲しげにお前の傍らに座っているわけにはいかない。…ドアを開けて、永遠に光栄なる景色を見ようとしたが、奴らの言った実用階段はなかった。そして、俺は悲しげにお前の傍らに座っているわけにはいかない…」
「誰が艾未未を愛さないのか」香港『申報』2011年4月26日で艾未未釈放を訴える。
「個人として、かつて自覚があるかないかの頃に時代あるいは家庭あるいは国家に裏切られたことがある。」
1997年6月27日東方化学工廠の爆発事故。7月1日の香港返還の3日前。左小祖咒は北京の西郊外、現在の東六環路の東側付近、通州区宋庄鎮小堡村に住んでいた。その東南のそう離れていない所に工場はあった。ズージョウは口止めのために昌平収容所に収監される。
「お前は自在であるために行動する、自在とは自由であり、自由とは人権であり、人権とは政治だ!友よ、お前は訳が分からないうちに政治の舞台に上がってしまったのだ」