2限 概説 言語 「国語」から旅立って
3限 演習 川端君の発表 騒乱事件 2010年前後の中国社会問題 土地問題、公害問題、 日本の1970年前後「呪殺」について
4限 研究法 擬態する国「日本」中華文明、帝国主義、植民地主義、被植民地 ナショナリズムは必要か?
あいちトリエンナーレ、表現の不自由展、その後再開のための集会、9月17日文京区民センターへいってきた。展示中止になった原因となった作品「遠近を抱えて」の作者、大浦信行さんもご来場だった。再開を求める仮処分申請を行ったということ。さらにアライ=ヒロユキさんの作品解説もあった。
この後文化庁は補助金打ち切りという暴挙に出た。政権の弾圧によって、日本の現代アートは今まさに殺されようとしている、危機に瀕している。
ここでは「遠近を抱えて」についてメモを残しておきたい。
最も参考になるのは上記の加治屋健司氏の論考である。
大浦氏は昭和天皇をコラージュしたこのシリーズが「自画像」であるという。天皇はシルクハットにモーニング、ステッキと服装が西欧化していき、欧米列強を過度に模倣し、植民地主義を擬態する。日本は戦前では自己植民地化からアジア侵略植民地化へと向かう。さらに戦後天皇家は幸せな家族の象徴となる。ディズニーランドでパレードを見て笑う天皇がコラージュされている。天皇という中心が主体性を失い、鵺的に変容していく。それは作家自身、さらに日本という場所が、欧米を過剰に模倣し、擬態し、植民地主義に陥っていく姿だと思われる。それは戦後に至っても変わらずアメリカの被植民地化を擬態する。
こうした見方から作品を解釈すれば、天皇批判などではなく、極めて自己観察的であり、自己内部の客観的な描写であることがわかる。
またPart2は(天皇の肖像を燃やすのではなく)自身の作品を燃やす映像であるが、これは自画像焼却による自己否定的にも見られるし、作品が載っている「富山の美術86」の470冊の図録が93年に焼却処分さてたことを再現してもいるのである。
6月9日、東大駒場でベルリンに亡命している作家 廖亦武の講演があった。
その時に、かねてから会いたいと思っていた 授業でもよく使っている映画『亡命』(2012)の翰光=班忠義監督に会うことができた。
9月5日にアップリンク渋谷で『太陽がほしい』を見た。日本軍に性暴力を受けた女性たちを20年、臨終までずっと追いかけた作品だ。あいちトリエンナーレの「少女像」が展示中止になる事件が起きて、日本軍の性暴力、そしてそれを表現する自由が問題になる昨今、ミキ・デザキ監督『主戦場』とともに観るべき映画だと思う。そして日本軍のやったことを知り、これからの平和のために生かすべきだ。歴史をしっかり受け取って、韓国や中国の方々の苦しみを知って、今後、日本人は私たちはどういう付き合い方をするべきか考える。無かったことにして思考停止してはいけない。誰でも失敗した過去を思い出したくはないだろう。だが知らないふりをしてはいけない。失敗は失敗だ。二度と戦争を起こさないように、未来に生かすことこそ、死んでいったあの方々も望んだことだと思う。それにしても、臨終の床にまで追っていくカメラは凄かった。池谷薫監督の『蟻の兵隊』で病床の宮崎参謀が唸るシーンを思い出した。だが一人の女性の苦しく悲しい生涯を追っていく面で、いっそ訴える内容は強いと思った。国を超えて性を超えて多くの人々に観てほしい作品だった。