21日(月)ZOOM 中国語2冊目1-3課本文と文法説明 文化論私の今書いている文デュシャンと中国現代アートについて 次回は2021年1月18日
23日(水)対面 演習 中国のプロパガンダ芸術序章 日本と中国のプロパガンダ天皇と毛沢東 特殊講義 私の中国映画体験 1980年代「黄色い大地」の衝撃 構図、政治性の払拭あるいは文学芸術の回復 次回は2021年1月6日
5:30~6:30 ZOOM大学院の説明会
7:00~沖縄風味処美崎 食事
14日(月)ZOOM授業 1限中国語22課修了2冊目の1課を少しやりました。2限 文化論 葉さんの発表、農協ついて
16日(水)対面授業 3限 演習 中国のプロパガンダ芸術序章 4限 特殊講義 私の中国映画体験 1980年前後、池袋豊島区公会堂 中国映画上映会 北京語言学院 五道口工人倶楽部 小花(戦場の花) 駱駝祥子
昨日3限 演習 嶋田さんの発表 連環画、「山海経」について 地理書、SF、怪獣
様々な要素、連環画、廃棄される書物にこそ研究の意味がある お菓子の付録、空き缶、カップ麺の蓋…
4限 特講 趙さんの発表 張藝謀「あの子をさがして」教育問題、農村の貧困、ドキュメンタリー映画への方向性、ラストのハッピーエンドは要らないか
1957年:
5月18日詩人の艾青とその妻の高瑛との間に北京で誕生。戸籍上は8月28日になっている。子供の誕生日を忘れるほどに混乱していた、と艾未未(アイ・ウェイウェイ)が言う理由だ。1930年代にパリで絵画を学んだ艾青は左翼詩人。艾青の詩は時代の象徴となった。
1958年:
艾青は共産党から「右派分子」の烙印を押され、黒竜江省、ゴビ砂漠の新疆ウイグル自治区に追放された。艾未未1歳。
1966-76年:文化大革命。艾青一家は「労働者階級の敵」として不遇を経験し、艾未未は父と共に強制労働に従事。艾青は村の公衆便所の清掃をする。
1976年:
毛沢東の死後、艾青の名誉は回復し、北京に戻る。
1978年:
艾未未、北京電影学院に入学。前衛芸術グループ「星星画会」に参加し、1978-79年の民主化運動が弾圧されるのを目撃する。
1981年:
艾未未、渡米。1983年にニューヨークへ移りパーソンズスクールオブデザインに通学、退学。その後様々な仕事をする。詩人アレン・ギンズバーグと交流、自分の体験を1万点以上の写真として記録した。多くは当時の抗議運動に焦点が置かれている。
1985年:
イーサン・コーヘン・ギャラリーでアイ・ウェイウェイの初個展を開催。
1989年:
天安門事件。艾未未は、国連本部ビル前で座り込みハンガーストに参加する。
1993年:
父の病気のため、北京へと帰国する。
1994年-7年:
影響力の高いアングラ美術書『黒皮書』『白皮書』『灰皮書』を出版。欧米の現代美術を紹介し、中国の前衛アーティストたちを支援する。
1996年:
1999年:
北京郊外の草場地に自宅を兼ねるフェイク・スタジオを設計・建築。建築家としてのキャリアの起点となった。
2000年:
上海で「死体派」を輩出し物議を醸した「何者にも与しない Fuck Off」展を開催。
2003年:
スイス人建築家、ヘルツォーク&ド・ムーロンと初対面。2008年のオリンピックスタジアムのためのデザインエントリーを共同制作。後に「鳥の巣」スタジアムとして知られることになる。
2007年:
6月:ドクメンタ、艾未未は1001人の中国人をカッセルに呼び寄せるプロジェクト「童話」を行う。
2008年:
5月12日:四川汶川大地震。小学校の手抜き工事のために5000人以上の児童が命を落とした。艾未未は実態調査・記録を始めた。
8月9日:ガーディアン紙で北京オリンピックを政治プロパガンダであると糾弾。
2009年:
5月12日:四川大地震の一周年。艾未未はブログで5,000人以上の生徒たちの名前を発表。
5月29日:深夜、艾未未のブログが当局により閉鎖される。
8月12日: 午前3時、成都市のホテルに宿泊していたところ警察に襲撃される。艾は地震被害者調査をしていて逮捕された譚作人(タン・ズオレン)裁判の証人として同市に滞在していた。
9月14日:艾未未はミュンヘン大学病院に入院し、脳内出血の治療を受診。単独美術展としては過去最大規模となる個展「So Sorry」のためミュンヘンにいた。
12月25日:作家の劉暁波(リウ・シャオポー)は「国家政権転覆煽動罪」により懲役11年の判決が下された。艾未未は「零八憲章」に署名した。
7月25日:森美術館で個展「艾未未:何に因って?」開催。以後本人不在のまま世界を巡回する事になる。
2010年:
10月8日:劉暁波がノーベル平和賞を受賞。艾未未は磁器製のヒマワリの種を一億粒敷き詰める「ひまわりの種」制作のため、ロンドンに滞在していた。艾は賞の重要性をマスコミに語った。
11月7日:艾未未の上海スタジオが上海当局によって解体される。これを“祝賀”する河蟹パーティーが催された。北京当局は、艾を自宅軟禁した。
2011年:
4月3日:北京首都国際空港から香港へ向かおうとしていた艾未未が拘留され、行方不明となる。
5月4日:ニューヨークで、艾未未のブロンズ彫刻「ひと周りの獣」が展示された。後にロンドン、ロサンゼルス、は台北でも展示された。
6月22日:艾未未が81日ぶりに解放され、北京の自宅に帰宅。拘束中は、2人の監視役が24時間ずっと傍らに立ち、トイレにいるときも就寝時も見られ続けるなど、精神的虐待を受けていた。中国当局は脱税容疑で取り調べをしていたと主張。以降艾は自宅軟禁される。
10月:アートレビュー誌は最も力のある芸術家100人の首位に艾未未を指名。
10月29日 台北市立美術館で「艾未未:欠席(Absent)」展開催。
11月:税務当局は艾未未に、未払税金と追徴金2,400万ドルの請求書を送り、この請求書の合法性に異議申し立てをするのなら、2週間以内に半額支払うようにと命じた。中国内の支持者たちは、振込んだり、紙幣を紙飛行機にして自宅に投げ込んだりして送金した。艾未未は1200万ドルを支払い、法的な対抗を継続する。
2012年:
1月22日:サンダンス映画祭で『アイ・ウェイウェイは謝らない』プレミア上映。
4月3日:拘留された日から一周年。15個の監視カメラを更に増やして24時間放映。監視を監視する。
6月20日:自分の脱税容疑裁判に出廷しようとしたところ警察に阻止される。
6月22日:保釈期間が過ぎたが、アイ・ウェイウェイのパスポートは返却されない。
10月:ワシントンでアイ・ウェイウェイ展
10月24日:YouTubeに「草泥馬style」を発表。手錠に繋がれて左小祖咒(ズオシャオズージョウ)と踊る。
2013年:
5月17日:香港で2008年の毒ミルク事件を考えさせる作品「ミルクの国」を発表。
5月22日:YouTubeに左小祖咒とヘヴィ・メタルアルバム「神曲」発表。獄中の様子を再現する。
6月:ヴェネツィアビエンナーレで四川大地震跡から集めた鉄筋150tを真っ直ぐに伸ばした作品straightや、獄中のもようをジオラマにした S.A.C.R.E.D を発表。
10月:トロント屋外で3144台の「永久・自転車「forever bicycles」作品を展示。
2014年:
4月:ベルリン、ニューヨークで艾未未展。9月27日:サンフランシスコ湾にあるアルカトラズ島の監獄跡で個展開催。
4月30日、『上海CCAA中国当代芸術賞15年展』の開催20分前に、2008年の終身最優秀賞(傑出成就奨)受賞者、および第1-3回評議審査委員であった「艾未未(アイ・ウェイウェイ)」の名前が会場の壁から消された。
さらに一ヶ月後の5月23日、北京798ユーレンス現代美術センター(UCCA)でオランダ人の中国現代美術研究者、戴漢志(ハンス・ファン・ダイク)についての展覧会『戴漢志 Hans Van Dijk ハンス・ファン・ダイク(1946-2002):5000の名前』展が開催された。しかし先の『CCAA中国当代芸術奨十五年』展と同様に艾未未の名前が隠された。案内状の写真からも艾の姿は切り取られた。艾未未はこれに抗議して作品を撤収した。
2015年:
6月6日(土)-9月6日(日)『艾未未』大山子798芸術区 当代唐人芸術中心および常青画廊
7月22日:「パスポートを取り返した」と、艾は自らのパスポートと写真をインスタグラムで公表した。艾は2011年4月3日から6月22日までの81日間の拘束以来4年3カ月余りも中国政府の監視下に置かれ、国内に閉じ込められていた。
9月19日から(12月13日まで)ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で美術展が開催されることになっていた艾は、6カ月のビザを申請したが、イギリスは「犯罪歴」を申告しなかったとして、わずか20日のビザしか発給しなかった。それでは開幕までしか滞在できない。艾は中国政府に秘密裏に拘留されたことはあるが、起訴されたことも有罪判決を受けたこともないと主張した。艾は7月30日、4年間有効のビザ発給を受けたドイツにミュンヘンから入り、息子、艾老(アイ・ラオ)の待つベルリンに向かった。
7月31日:イギリス政府は「不快な思いをさせたことに対する謝罪」の書簡を艾に送り、6カ月のビザを発給した。
9月17日:艾未未とアニッシュ・カプーアが難民用の毛布を羽織ってロンドンの街をデモ行進した。
10月3日:母親である高瑛(1933生まれ)の肺炎が悪化し、艾は北京に戻る。翌日4日、スタジオの内装工事をしようとしたところ、コンセントから盗聴器が見つかる。
10月23日:艾はメルボルンの国立ビクトリア美術館で開催される『Andy Warhol – Ai Weiwei』展(12月11日-2016年4月24日)で展示する作品制作のために、LEGO社に大量のブロックを注文したが、同社から「政治的、宗教的、差別的、品位を乱したり、中傷的である」創作物に使用されることは容認出来ないという理由で提供を断られた。艾の作品は劉暁波や浦志強ら世界の「政治犯」と見なされた人々の肖像をレゴブロックでつくるものだ。艾はLEGO社が販売を拒否したことについて、「検閲と差別に当たる」と非難した。また、艾はレゴブロックをトイレに流す写真や、髪や髭にブロックをぶら下げた写真をインスタグラムに掲載。車を使ってレゴブロックの集積所をつくり、人々から不要のブロックを集め始めた。
2016年:
1月16日から3月15日まで、パリのデパート、ボン・マルシェで行われた展覧会『AI WEIWEI ERXI』で、艾未未は「山海経」に登場する怪物たちをモチーフにしたインスタレーション作品を発表。
ギリシャのレスボス島の難民キャンプを見舞い、レスボス島にスタジオを設けた。
デンマークの新法案、難民の財産没収法案の可決に反対して美術展を撤収した。
2月のはじめ、昨年溺死したシリア難民の男の子アイラン・クルディ君(3)の写真の姿を模倣した。「子供の運命はあの人々のゴールラインだ。」
2月13日:艾未未はベルリンのコンサートホール「コンツェルトハウス」の円柱にギリシャのレスボス島から集められた1万4千の救命胴衣を飾り付けた。また柱の間に置かれた難民の使ったゴムボートに「SAFE PASSAGE(安全なルートを)」と記した。
難民の状況についてドキュメンタリー映画『人流Human Flow』を制作。25の撮影クルーがバングラデシュ、フランス、ギリシャ、ドイツ、ハンガリー、イスラエル、イラク、ヨルダン、ケニア、レバノン、マケドニア、メキシコ、トルコを含む22の国で撮影を行い、40に上る難民キャンプを訪れ、難民、NPO、ボランティア、政治家を含む数百人に取材した。
2017年:
10月12日:アイはニューヨークで「いい壁はいい隣人をつくる Good Fences Make Good Neighbors」を発表する。
2018年:
ドキュメンタリー映画『人流Human Flow』公開。
2019年:
アイが制作に加わった映画『ベルリン・アイ・ラブ・ユー』(2019)がベルリン国際映画祭への出品を拒否された。
映画祭の主なスポンサーはフォルクスワーゲン社、アウディ社などだが、ここには中国の企業も加わっている。
7月、アイはフォルクスワーゲンデンマークを知的財産権侵害で訴え、勝訴。アイには承諾なしに、オレンジ色のポロの新車にアイの作品(日の出2017)を背景に使った広告について訴えた裁判で、175万デンマーククローネ(約2800万円)の賠償を受けた。
2020年:
新型コロナウイルス感染を防ぐために封鎖された武漢のまちを描くドキュメンタリー映画『Coronation』公開。
香港問題を描く作品を制作中。
艾未未 Ai Weiweiについては(もぐさ・未来)がい・みみ、アイ・ウェイウェイ で検索
ARTiTアートイット→ Magazine→ 連載→ 艾未未
1限 19課を行いました。来週は休みですが、自由参加の復習17~19課
2限 死体派
死体派へ
こうした方向はエスカレートし本物の死体を使ったものが多数出てきた。孫原(スン・ユアン)は1998年、雪の草原に血の付いた骨を散らした「牧者」、1999年、老人と嬰児の死体を使った「Honey」を発表。更に2000年彭禹(ポン・ユィ)との共同で歯を剥き出しにした犬の剥製の頭部に強いライトをあてて燃やす「霊魂をも殺す」をつくっている。また蕭昱(シャオ・ユィ)は「●ruan」(豸へんに自水十とたてにならべる文字)(1999年)で人間の胎児の頭部、鳥の羽、兎、猫、鼠の標本を継ぎ合わせた[1]。[図9]これらの猟奇的な作品は「もの」と化した人体の極北を見せる。中国で簡単に死体が手に入る不思議、人体に宿る精神性、奇異をてらうのにここまでしていいのか、アートがモラルの範疇へどれだけ介入できるのか、多くの疑問を提示した[2]。
方法 『埼玉大学紀要教養学部』「集広舎HP」など
第六回:比較 中国現代アートの既視感
「中国と日本の現代アートを比較する」埼玉大学紀要. 教養学部,46(1),249-261 (2010)
SUCRA埼玉大学情報発信システム
キュピキュピ「キャバロティカ」映画「薔薇の葬列」ゼロ次元 趙半狄「一人ぼっちのオリンピック一个人的奥运会」ヤノベケンジ
[1] 蕭昱(シャオ・ユィ)「Ruan●(豸へんに自水十と縦に並べた文字)」1999年 艾未未(アイ・ウェイウェイ)・馮博一(フォン・ボォイー)・華天雪(ホア・ティエンシュエ)『不合作方式FUCK OFF』上海東廊芸術2000年
[2] 詳細については第三章6で取り上げたい。
2限は11:30に修了して、熊谷女子高校へ出張模擬講義「アイ・ウェイウェイ」
日本・アジア文化論7(オムニバス授業、7,8回を担当)
「不在」と東アジア現代アート『埼玉大学紀要教養学部』56巻1号2020年
(全文は近くSUCRAで公表されます)
不在をキーワードにして中国、韓国、日本の作品を比較検討する。まず岳敏君の「無人の風景シリーズ」と小泉明郎の「空気シリーズ」を取り上げて、その影の持つ不可視性について考察する。さらに空っぽの椅子の表象に注目し、キム・ウンソン & キム・ソギョン「平和の碑」から対話への希望と不戦へのメッセージを見出す。また不戦の具体的な意図を銃の表象に求め、小沢剛「ベジタブル・ウェポン」や尹秀珍「時尚恐怖主義」に共通する危機感を考察する。最後には二重の不在である毛同強「我有一個夢 I Have a Dream」を取り上げて、不可視的な観念の世界で結びあう可能性がある事を指摘する。