牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

昨日のZOOM授業 

1限 19課を行いました。来週は休みですが、自由参加の復習17~19課

2限 死体派 

死体派へ

こうした方向はエスカレートし本物の死体を使ったものが多数出てきた。孫原(スン・ユアン)は1998年、雪の草原に血の付いた骨を散らした「牧者」、1999年、老人と嬰児の死体を使った「Honey」を発表。更に2000年彭禹(ポン・ユィ)との共同で歯を剥き出しにした犬の剥製の頭部に強いライトをあてて燃やす「霊魂をも殺す」をつくっている。また蕭昱(シャオ・ユィ)は「●ruan」(豸へんに自水十とたてにならべる文字)(1999年)で人間の胎児の頭部、鳥の羽、兎、猫、鼠の標本を継ぎ合わせた[1]。[図9]これらの猟奇的な作品は「もの」と化した人体の極北を見せる。中国で簡単に死体が手に入る不思議、人体に宿る精神性、奇異をてらうのにここまでしていいのか、アートがモラルの範疇へどれだけ介入できるのか、多くの疑問を提示した[2]。 

方法 埼玉大学紀要教養学部』「集広舎HP」など
第六回:比較 中国現代アートの既視感

「中国と日本の現代アートを比較する」埼玉大学紀要. 教養学部,46(1),249-261 (2010)

SUCRA埼玉大学情報発信システム

  • 北京東村×ゼロ次元
  • 朱冥(ヂュー・ミン)×風倉匠(かざくらしょう)
  • 新歴史グループ「太陽100」×ハイレッド・センター「首都圏清掃整理促進運動」
  • 趙半狄「慰問」「一個人的奥運会(一人だけのオリンピック)」×秋山祐徳太子「ダリコ」
  • 長征プロジェクト×都築響一
  • 中国常青(チャン・チン)舞踏団×キュピキュピ
  • 宋冬「物尽其用」×折元立身「アートママ」

キュピキュピ「キャバロティカ」映画「薔薇の葬列」ゼロ次元 趙半狄「一人ぼっちのオリンピック一个人的奥运会」ヤノベケンジ

sucra.repo.nii.ac.jp

 

[1] 蕭昱(シャオ・ユィ)「Ruan●(豸へんに自水十と縦に並べた文字)」1999年 艾未未(アイ・ウェイウェイ)・馮博一(フォン・ボォイー)・華天雪(ホア・ティエンシュエ)『不合作方式FUCK OFF』上海東廊芸術2000年

[2] 詳細については第三章6で取り上げたい。

2限は11:30に修了して、熊谷女子高校へ出張模擬講義「アイ・ウェイウェイ

  • 唐代は西域文化の中国への全面的な征服である、唐朝は上から下まで審美原則から生活情趣に至るまで、精神から物質に至るまで全て全面的な転覆に遭遇したのである。こうした相違する価値観の併存、相互補完、溶解と整合がずっと中国歴史と文化の進展を左右させてきた。文化とは良家の娘がヤクザ者に強姦されることではない、文化とは良家の娘、ヤクザ者、強姦が一緒になったものだ。文化を語る時、それは元々良家の娘だったが、山の道を間違えてヤクザ者に強姦されたといわれる。それは間違っている。その山、彼女が歩いた道、強姦を加えて初めて文化なのだ。
  • つまり本来純粋で固有の文化は存在しない、互いに融合しあって変化を遂げていく、その運動のすべてが文化なのだとする。そして閉鎖的な姿勢が寛容な姿勢へと変わることが文化の豊かさの必須条件であることを主張する。この姿勢は極権的(全体主義的)、愛国主義への批判にも看取できるだろう
  • とすれば典型的な中国文化とは外国文化そのものである。ここには「許容する文化」の重要性を、閉鎖的愛国主義への批判を見いだすことができる。
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    コスプレ、アイ・ウェイウェイ、多分,傻伯夷 つくってるとき