牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

埼玉新聞20210827 研究者の眼 もう一度世界へ開く 牧陽一

1970年大阪万博の年、私たち小学生は三波春夫の歌う「世界の国からこんにちは」に合わせて、日の丸の小旗を振って、お遊戯の練習をしていた。毎日毎日放課後に残されて、練習は続いた。ある子が必死に振るあまり小旗が破れた。みんなそれに倣って、力いっぱい小旗を振って紙を破いた。地面には踏みつけられたたくさんの日の丸が散乱していた。

日本が世界に開くのはこんなに大変なのか?と当時の小学生の私は考えていた。一方で嫌になるほど練習しても貧乏だから誰も見に行けない万博を恨んだ。人類に進歩も調和もないまま時は過ぎ、私も初老となった。今は多少豊かなはずなのに誰も見に行けないし、行かない。何という矛盾だ。

今年のオリンピックにも子供が動員されそうになった。国家的行事には都合のいい弱者が利用される。コロナ感染の最中のパラリンピック、政治宣伝に身体障碍者も子供も利用されそうになっている。震災からの復興、コロナ感染の克服はどこへ行ってしまったのか。

20年以上前、私は「中国のプロパガンダ芸術」や「アヴァン・チャイナ」を書いて、強制的なプロパガンダが効力を失う新しい時代の到来を予測した。だが現状は変わらないのではないか。相も変わらず中国では政権を讃える御用絵画が横行している。また日本では「表現の不自由展、その後」のように、表現の普遍性や複雑さを理解できない無神経な政治家が、表現の自由と、観客の鑑賞、考察、議論の機会を奪い、私たちの文化を貶めている。

だが私たちも黙ってはいない。中国ではプロパガンダポスターのスローガンをお笑いに替えて、SNSウィチャットのスタンプにするのが流行している。毛沢東時代、そして今の政治宣伝を風刺しているのだ。日本でも中止になった美術展を再開催した。そして政権が無理強いしたオリンピック、パラリンピック開催、コロナ感染への無策に批判が殺到している。私たちはオリンピックの高揚で政権の不実を忘れるわけがない。冷静だ。私たちはもう戦前戦中、或いは高度成長期のような単純な愛国主義と経済発展のプロパガンダに騙されはしない。コロナ感染の緊急の場合、中国のような独裁政権の方が強権で良いのではないかという言説も出ているが、それは民主主義を否定できるものではない。現政権の判断力のなさや、私利私欲に拘泥し誠実さに欠ける態度が、成熟した市民社会には合わないだけだ。何でも無理やり開催して建築すれば儲かるだろうという高度成長期以来変らない古い政権に問題があると考えるべきだろう。

政治プロパガンダを冷静に見据える庶民の眼がある。グローバリズムも結局は成長し尽くした強国が新たな利益を求めて、途上国を呑み込む方便に過ぎなかった。だが今は世界がコロナに対応することで共通の課題を持つことができた。自国ファーストの偏狭なプロパガンダを脱して、新たな態度で世界に再び開くために、私たちはもう一度やり直す機会を得たのだ。

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太陽の塔