大学入試に失敗したワタスは上京し高田馬場の予備校に通いながら、ビンボー生活を始めた。最初の下宿は1万5千円。風呂なし。風呂付に住むのはそれから10年後のことであった。食事は3袋100円のラーメンと一斤100円のパン、たまにサバの水煮缶。1日200円。何とか早稲田の夜学に入ったワタスはやはり風呂なし2万円の4畳半。野方環七近く。風呂はどうするかというと大学の体育館のシャワーを使う。だから大学へは金はなくともせっけんとシャンプータオルセット持参である。昼間勤めている同級生をつかまえて、夕食を奢ってもらうのだった。この頃のバイトはビルの建築現場で、一日7千円。わざと仕事遅らせて残業つけても1万であった。日払いだから、その日のうちに使う。新宿ションベン横町辺りから毎晩3軒以上飲み歩き、泥酔喧嘩ぼろぼろに負けてまた日雇いに出掛けるのだった。信州では温泉の物置や農家の水車小屋に住んでいた。やはり8千円ぐらい。冬は凄まじい寒さで、こたつの上のコップの水が朝には凍っていた。
【連載】艾未未のことば 6「哀悼|声なき祭日|謝る必要はない」訳・責任編集/牧陽一 bit.ly/YurvPh 四川汶川大地震の際に書かれた3篇。「災難の中、手をさしのべ、傷ついた人を助けるのは人道主義であって、祖国や人民への愛などではない」#ARTiT
— ARTiT_Tokyoさん (@ARTiT_Tokyo) 2013年4月17日
【連載】艾未未のことば 「四川汶川大地震から5年」文/牧陽一(@muyangyi) bit.ly/112cTIn 「リトリートするな(引き下がるな)リツイートしよう」艾未未の態度は、私たち自身の在るべき姿勢に移り代っていくことだろう #ARTiT
— ARTiT_Tokyoさん (@ARTiT_Tokyo) 2013年4月17日