牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

艾未未 アイ・ウェイウェイ:何も隠すこともないのに監視されている 英文から中文翻訳:董楠 中文から日本語翻訳:牧陽一

http://cn.nytimes.com/article/culture-arts/2013/02/28/c28aiweiwei/ニューヨークタイムス中文版 ラリーローターLARRY ROHTER 02月28日 取材の抜粋
Q:《ネバーソーリー》は2011年に撮影を終了していますが、その時、あなたは81日間、秘密里に監禁された後、自宅軟禁されていました。現状はどうですか?
AWW:私はいま自由の身であるはずだが、彼らは私の旅券を取り上げたままで還してこないから外国へ行くことができない。中国で、周囲の環境はかなり緩くなったのに、私は依然として厳格に監視されている。もし私が外出すれば、相変わらず人が秘密里に私を監視している。
Q:あの映画の中で、あなたは尾行してきた国家安全機関の人間に近づいて行って話をしようとしていますね。どうしてそうするのですか?
AWW:私達には隠すものなど何もない、そのことを彼らに知ってほしいからだ。普通、尾行されていれば脅威だし、とても怖い。だから私はいつも言う“もしあなたが私を探しているのなら、坐ってゆっくり話そうではないか。あなた達は私の事務室に来てもいいし、あなた達にテーブルを提供してもいい。私が誰に会うかを見てもいいし、もし私が旅行すれば、私の助手ということにして、私が会う人全てに会うこともできる。だからあなた達のボスに言えばいい、これはチャンスです、国家政権転覆を謀る危険人物と言われる人間をつぶさに観察することができますと。”
Q:このような対応の仕方やあなたの行う様々な行為を、西側ではパフォーマンス・アートと見なしています。このいい方は正確ですか?
AWW:私はこれがパフォーマンス・アートだとは言いたくない。これは表現であって、計画された演技ではない。とても危険で、気落ちさせる真実の生活だ。これは生存の方法であって、あの者たちに対して自分自身を表明しているのだ。彼らに自分が酷く驚いていると思わせたくはないからだ。大多数の人はそれを放棄する方を選ぶが、そうすると権力側を自分が比類のないほど強大だと思わせ、動揺させることはできない。私は事をなす人あるいは若い人に教えたい:あなた達は自分の権利を堅持することができるのだと。
Q:こんな時、あなたは主に芸術家、それとも政治活動家だと思いますか?
AWW:この2つの役のどれも計算して演じているわけではない、或いは周到に考えてもいない。私の生活はとても豊かだ、私自身が主導して、政治と社会に目を配り、また多くの文化芸術活動をやらなければならない。それらは互いに密接な関係で分けられないものであり、私にとってなくてはならないものだ。歩く時には同時に呼吸が必要だが、あなたは自分が呼吸していることに注意は払わない。だがあなたがとても困難な条件下で歩く時、例えば山に登る時、あなたは必死に呼吸しなければならないことを意識するだろう。私の活動はこうした状況に似ている。
Q:今あなたの生活はいつも監視の下で、どうしてアリソン・クレイマンにこの映画を撮らせたのですか?もっと面倒なことになりませんか?
AWW:私は日常の状態を表現するのがとても重要だと思う、なぜなら人々が中国を考える時、まず彼らは中国が今強大で豊かだと思うだろう。しかしこの発展段階でどれだけの犠牲があったかを知らなければならない。悲惨で不公平な事件がたくさん発生した。この党はひたすらに、これらの問題を討論し交渉させようとはしない。だからこの映画はとても重要で、人々に権力の存在を示している。権力はとても強大だが、時に極度に軟弱だ、実は彼らはいかなる抵抗あるいは質疑の姿勢にも耐えることができない。
Q:中国は最近指導者の交替がありましたが、あなたは共産党の新しい指導者に対してどんな見方がありますか、彼らはこのような厳密な抑制を緩めることはありますか?
AWW:何も目新しいものは見えない。いくらカードを洗おうが、カードを持つ手は同じだ。それが彼らのやり方だ。彼らはずっと規則を守ることはないし、自らの憲法も尊重しない。彼らの権力はこれまでいかなる制限も受けたことが無い。言論の自由はなく、司法の系統的な独立もない。すべてがあまりに酷すぎる、彼らがいかなる改革をしようともすべてが非常に困難だ。私は変革に対していかなる望みも抱いていない。
Q:あの映画であなたはソーシャルネットワークサービスの積極的な使用者で、それを芸術のツールまた政治のツールとして使っています。今もSNSを使いますか?
AWW:それは1つのツールで、海外のみ有効だ。中国のSNSでは、私の名前は完全に禁止されている。これは象徴的な意味をもった。いま世界全体が高速ネットワークサービスを構築しようと努めているというのに、中国では必死に数々の制限を設けて情報の伝播を遅らせたり、妨害しようとしている、このようにして、彼らの若い人々は成長中に永遠に外で何が起きているのかを知ることができず、永遠にすべて本当の挑戦を知ることができない。私は彼らが国家ネットのファイアウォールを設置したことは、実は彼らの権力を守るために、一世代全体の未来を犠牲にしてしまったのだと思う。
Q:あなたは個人と国家権力の関係という話題を提示しています。この映画を見ると、あなたがニューヨークにいた頃からこの問題を系統的に思考し始めたのだと思いました。
AWW:そうだ、間違いない。私がニューヨークに来たばかりの時、基本的な社会的公正はどのように実行し、また多くの情況下で、どのように実行しなかったかを見ることができた。私はいろいろ考えた、私はトンプキンスクエアパークの暴動(TompkinsSquare Parkriots)とエイズ差別抗議のデモ、さらに反戦デモに参加したことがある。私はよく言うが、イラン・コントラ事件(Iran-contra)の公聴会を見たことがあって、一分も聞き洩らしてはいない。正義が具体的な実例の中でどのように実現していくのかという過程に、私はずっと非常に興味を持っている。私にとって、これはずっと大きな吸引力をもっている。
Q:ニューヨークの日々はずっとあなたの創作に影響がありましたが、あの時間はあなたをどんな芸術家に形づくっていったのでしょうか?
AWW:あの時間はとても重要だ。それは私に機会を与えた、芸術が現実生活、更には私達の態度と生活様式とにどのように関係を発生させるのかを分からせてくれた。私はこれらのものは分けるべきではないと思う。私は芸術と現実を分裂させようと意図する芸術には全く関心を持てない。これも私にとってのレッスンなのだ。