牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

キュレーター美術展、主観と抑制について

53になった。いい歳だ。これまでにいくつかの美術展に関与してきたが、いいキュレーターというのは研究がしっかりしている。今はキュレーターが世界のアートシーンをつくっていく重要な役割を担っている。かといって世界美術の「流行」に乗るだけで、やりっぱなしの美術展もある。やりっぱなしというのは、イベントや対談の成果報告がないという事だ。忙しいというのは理由にはならない。また美術展の準備もお粗末なものがある。直前の問い合わせなど受けるとこのキュレーターは何をやっているのだろうと疑問に思う。何人もスタッフのいるような大きな美術館でこんな具合だから、やはり本人の能力の問題なのだろう。大学の研究は世界に開かれていて、誰でも「共産」「共有」が可能である。美術関係者のプロはこの共有財産を有効に使ってほしいものだ。
主観と抑制は如何なる仕事にも共通した課題と言える。その度合いの対極にあるのが創作と研究ではあるが、いい創作は抑制が効いているし、いい研究論文というのも抑制が効いていてそこが魅力になっている。抑制を効かせる必要は、内部の混沌、矛盾、情念の様なものが強すぎるからであって、ある意味で主観と抑制は対立するが、比例している。作家の強い抑制が見る者に響いてきたら、その作品は成功と言えるかもしれない。メッセージ性というのは単に分かりやすい言葉で何かを訴えているだけであって、その作品がいいとは限らない。中国の現代アートのメッセージ性が強いというのは、単に抑制がきいていないというだけである。おそらくは次の段階に入るべきなのだと考えられる。
左小祖咒ZuoxiaoZuzhou試論2を書き始めた。7月10日締め切りの紀要。私はピンアンダーダオとかアシマーとか叫んでいてき●がいみたいだ。