牧陽一の日記です。

埼玉大学 人文社会科学研究科 牧陽一の授業内容です。表紙は沢野ひとしさんの中国語スタンプです。

森田明生に会った

夢を見た。どこか書店か図書館で森田さんは巨体をそそくささせて、本を探している。私が声をかけると「あれ、僕だって分かりました?」もちろんだ。あなたを見間違えるはずはない。「終わったらどこかで飲みましょうよ。待っているから。」そこで目が覚めた。私は死ぬまで待つしかない。
森田明生は私の信州大学時代の親友で数年前、糖尿で死んだらしい。わからない。その頃、私は浅間温泉奥、北大湯旅館裏の倉庫に住んでいたが、30メートルほど離れた公民館だった場所に森田さんは住んでいた。家の周りには新聞が積まれていて、いつだか村人が処分したら、森田さんは「大切な資料を」と言っていたという。松本のタウン誌にグルメ記事を書いていた。これがやたら面白く、傑作だった。巨体に白のテニススコートを着ている。丸眼鏡で煙草を吹かす着物姿の文人。父子相伝の蛍の舞、お尻に蝋燭。蛍の衣装は父上が「明生、これを使いなさい」と米子から送ってきたという。明らかにコスプレの怪人にしてグルメライターで、きっかけは忘れたが自然に友達になって、よく飲んだり食べたり歌ったりした。森田さんの借家の一室は寝室で100個ぐらいぬいぐるみがあってぬいぐるみに囲まれて寝ていた。「これがタヌキのポンタです。そして妻のポン子です。子供の...」100匹全部紹介するのである。私の部屋に女性が遊びに来るとそそくさと「はっ、瞬間的に」なんて言って頼んでもいないのに大量の料理をつくって来てくれた。留学の前後には居候させてもらった。医師の国家試験の時は私が北京から買ってきたLLサイズの人民服を着ていった。2回目に合格した。信州大学を卒業するのはもったいないと9年いたから、少し年は上だったと思う。東京に来てからも会った。「濾過したりする医療用具がですね、どぶろくをつくるのにですね、すごく適しているわけです。」と持ってきた自家製のどぶろくに何かしゃれた名前のレッテルを貼って、池袋の飲み屋に持ち込みで飲んだ。その頃は信州の山に犬と一緒に住んでいた。年賀状は連名で3匹の犬たちの名も届いた。「いや、僕の精神科患者の人がですね、「私は松本城の家に帰る」っていうんですね。ええ、一緒に芝居とかやっています。」楽しそうな様子が想像できた。こうして時々夢で会えるのか。わが青春の森田明生(精神科医)の逝去に寄せて。 | タケノコ診療所ブログ