月曜1限 中国語 第3課そり舌音の前まで 血ぃー見るで~、手ぇ出して~、目ぇ痛い~、歯ぁ抜けた~ 妈妈骑马,马慢,妈妈骂马
3限 概説 1,歴史 ラストエンペラー
水曜2限 文化論 艾未未の少年時代
3限 特殊講義 中国のプロパガンダ藝術序章 舔菊派画家
4限 演習 星星画会 黄鋭
自己紹介
研究方法とと地域研究
今後の予定:次回は論文の教室、1部 キミは研究て何かを知っているか
共通論文の要約担当を決めます。今日はウェブクラス、メッセージで送信しました。
香港はなぜ戦っているのか? なぜ戦争をえがくのか 紹介しました。
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1限中国語、第1課、四声、短母音、二重母音、三重母音、軽声
下着毛毛雨 下边有mao吗? 官僚主义非常美丽
空き時間 ぺ・ジオンさんに韓国語を学ぶ。1,2課
3限 概説 文化とは?開いていくもの 世界を駆け巡る生き物
強大な国家民族資本に抵抗し、様々なマイノリティの側に立つこと
新しい関係性を築くこと
そんなことを話しました。前回、前々回の日記内容です。
人種と民族、ラーメンと拉面、きものと漢服などを例にとって。
久しぶりの対面授業でした。
網野善彦の逆さ地図を見ると、東海(日本海)が内海で、列島は連なり、日本が孤立した島ではなく、人間を自由に行き来させる連なった場所に見えている。国境や日本民族という概念は、いっそ消滅する。
また小熊英二は民族ということば自体が中国へ逆輸入された差別用語であることを指摘する。先の戦争で、大和民族を優れた民族に仕立て上げ、侵略を正当化するために作られた差別用語だ。たかが千年程度同じ場所にいただけの人々を民族で区切った。人種は同じだし、文明度でいえば、中国や朝鮮の方が上であるから、新たに大和民族という架空の民族をでっち上げて、自らが優れているという嘘をついた。
日本は台湾統治時期、未開で野蛮な民族を生蕃と呼び、漢民族に同化したものを熟蕃と呼んだ。木山英雄先生によれば、中国には熟蕃ということばはない。中国自体が本家本元であるからだろう。日本はいうなれば漢民族化を本家に代わってやっていたというわけだ。一方中国文学研究者も大きなスパーンでの漢民族化を従属的に進めていはしまいか?特に日本の中国現代文学研究者ポストは、中国古典文学と1:1という割合を中国の大学に合わせて進めている。だが中国の側は中国共産党が意図した党の宣伝を現代文学が担わせるためだった。だが魯迅をまじめに読んでいけば、当然、反体制的な姿勢を学ぶことになり、結果、64天安門事件の学生たちの民主化要求に繋がっていった。党は失敗している。文学がダメなら美術、今は各大学に美術学院を設けてビジュアルからの党宣伝を意図しているようだ。では日本の中国現代文学研究はどうあるべきか。やはり抵抗の姿勢を失ってはいけないのではないか。単に中国の文学の素晴らしさを言うだけならそれは熟蕃に過ぎないだろう。
現在、中国政府は正に未熟な民族を教化し、同化させようとしている。それはウイグル弾圧に明確に表れている。野蛮な民族を漢民族化しているというわけで、多様な意見や宗教、生活スタイルを認めようとしない。全てを一色に染め上げようとする。
林少陽の孫引きになるが、章炳麟の斉物論釈 「斉其不斉、下士所鄙執。不斉而斉、上哲之玄談。」(斉しくないものを斉しくさせるのは愚かであり馬鹿にされる故である。それに対して斉しくないものを斉しいとするのが賢者の優れた選択である)
つまり文学とは「あや」模様であり、それぞれが違うのがいいのである。そして多様なあり方を認め合うことが大切なのだ。強制的にすべてを平坦化することは誤りである。それは体制側の政治に他ならない。マイノリティが自由に生きていけることこそが重要であり、すべてはそこの向かっているはずである。日本自体が元々漢文化のマイノリティなのだから、そちら側につくのは当然のことだろう。
テニスプレーヤーの大坂なおみさんも人と違うことはクールなことだと言っている。そう、その多様性が正に未来への道筋だろう。
小熊英二インタビュー「有色の帝国」の呪縛 『朝日新聞』2020年9月10日(木)13p『九葉読詩会』第6号 2021年3月 参照
春休暇の間、様々な映画や本を見てきたが、本から本、漫画、音楽、演劇、現代アートへと派生する意味で、読書が一種の学びのプラットホームになる。研究は研究者の方法でも何でもなく、あらゆる表現者の方法であることは自明だが、特にこの本をきっかけとする広がりは大きいものだった。コロナで外に出ていく機会が少ない分、学びのエネルギーを蓄積する面でも、この本の意義は大きかった。
戦争を知らない表現者たちの歴史実践 戦争を未来にも起こりうる出来事として捉え、それを乗り越えるための次の実践を提案している。つまりポストコロニアリズムの状況に対して、変化しないとあきらめるのではなく、戦時下を超えて、新たな関係性をつくろうとする。
大川史織、映画「タリナイ」『マーシャル、父の戦場ーある日本兵の日記をめぐる歴史実践』みずき書林2018
まず、小泉明郎、皇室や天皇をテーマにした「空気」シリーズで注目していたアーティスト。私の「不在」と東アジア現代アートでも言及していた。小泉は日本人とか同胞意識よりは同時代性と結びつけていく方が大事であるといい、「歴史や戦争といった、リアリティを感じにくくなっているものを、いまの現実にどう落とし込んでいくか。自分はきっと、そんなことをやろうとしているのです。」と述べている。
諏訪敦、見ることの質の問題を提示し、調査や取材の重要性を指摘する。父の満洲体験を追う。見ることをどこまで拡張できるのか。
武田一義、その行為がいかに「しかたのない」ことだったのか、を漫画として叮嚀に描く。登場人物を好きになればなるほど、傷は大きくなる。せめていい傷のつけ方をしたい。
遠藤薫、「あらゆる事物が時間と共に損なわれるということをよいことだと思いたい。」布の存在感、蚕を飼うことから始め、沖縄、東南アジアを調査する。
土門蘭 物語を書くためにルーツと向き合う、「自分の中に〈恨〉がある。だけど苛立ちやわだかまりが自分にとっての財産だと思っている」
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後藤悠樹 彼女をそこに置いて行ってしまうような 彼女たちの人生を肯定したかった
小田原のどか 「発見され続けることを恐れないことの記念碑が必要だ。恥ずかしさに耐え続けることの記念碑が。」
畑澤聖悟 「青森みたいな田舎では、演劇人を輩出する機関はほとんど高校の演劇部だけです。」
庭田杏珠、渡邉英徳 記憶の解凍、色の記憶をたどる。
黄鋭(ホアン・ロェイ 1952-)のこと
牧 陽一(現代中国の文学・芸術)
1981 年夏、初めての北京。僕はいつでもあの日に帰って、一休みすることができる。いつもそこには青い空が広がっていて、乾いた風が吹いている。北京は僕が思うほどお人好しでもないし、優しくもない。でもいつも変わらず僕を受け入れてくれる。
黄鋭に初めて出会ったのは初めての北京の翌年 1982 年だったと記憶している。中国はまだ社会主義で僕はまだ大学生だった。
北京語言学院に留学していた。同じ留学生で美しいクラス・メイトに一目惚れした僕は彼女の部屋を訪れた。その部屋には見事な油彩画や皿絵が掛けられていて、それは彼女のフィアンセの作品だったのだが、そのフィアンセというのが黄鋭だった。僕は瞬時に失恋したことを知った。それから黄鋭が教室で学生をモデルにして描いているところに行ったこともあった。僕は教室が暗いから電気を点けたが、彼はすぐに消してしまった。自然光で描くからだったが、僕は無知な行為を恥じつつ、いっしょに描いた。黄鋭の姿は 20 代の僕の甘酸っぱい記憶とともにある。
翌年、黄鋭の「趙登禹路 64 号」の家で結婚パーティーが開かれた。王克平、馬徳昇、曲磊磊ら星星画会(中国現代アートの先駆的グループ)のメンバーが集まった。棋王、樹王、孩子王三部作で作家として名を成す前の鍾阿城もいた。しにせ料理屋「同和居」から来た若い料理人が腕を振るってかなり豪勢な宴会だった。僕は調子に乗って浴衣に着替えて男ストリップなんぞやっていた。近所の居民委員会(御上と通じていて変な人がいないか監視する人)のおばさんが探りに来ていたから、僕のやっていたことは何とも能天気だった。1983 年 8 月には星星画会の最後の美術展が城南の自新路小学校で開かれた。艾青(中国近代詩を代表する詩人)を囲んで星星画会のメンバーが話していたのが印象的だった。彼らが中国の新しい文化を担っているのは確かだった。だがこの美術展も北京市政府によって禁止された。
翌年 1984 年には王克平、黄鋭の出国が決まっていた。あの夜、馬徳昇は酷く酒を飲み、酷く泣いていた。僕は帰国し、図書館で星星画会の1979年のデモのこと(『読売新聞』1979 年 10 月 2 日のAP電写真には松葉杖の馬徳昇、プラカードを持つ王克平が確認できる。10 月 1 日中国建国30 年の日、星星画会は美術展の禁止に抗議し、芸術の自由と政治の民主化を求めて、長安街をデモ行進した。それは建国以来最初の抗議デモだった。)をやっと知ることになる。さらに発禁になった『美術』1983 年 1 期を見ることもできた。そこには黄鋭、曲磊磊、王克平の作品が 3作ずつ載っている。現在の作品とは隔世の感があるが、確かに中国現代アートは毛沢東様式を脱してスタートしていたのである。
2006 年 4 月、北京大山子芸術区「中国当代画廊」で黄鋭個展が開催された。「毛主席万元」は「毛主席万歳!」の文字を人民元紙幣 1 万元分でつくっている。作品は 6 万ドルで売れたらしい。黄鋭は毛主席万歳!を紙幣で作るというアイディアで 1 万元を 40 万元に変えた。正に何を買っても値上がりするバブル経済そのものを金が金に変わるという作品で表現したといえる。そして毛沢東崇拝から拝金主義、バブル経済へとまい進する現代中国の矛盾をえぐり出した。だがこの中心になる当作品が展示を禁じられた。美術展では全体に紅い幕がかけられていた。黄鋭は作品展示、禁止、販売までのすべての工程を作品化したといえる。
黄鋭「鄧小平の女」もまた批判されている。こちらは確信犯といっていいだろう。「鄧小平の女」は「一個中心,両個基本点。抓両頭,帯中間。(1987 年 10 月の第 13 回党大会で提起された党の基本路線)1 つの中心とは経済建設、2 つの基本点とは改革・開放政策と四つの基本原則(社会主義の道、人民民主独裁、共産党の指導、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想)。抓両頭,帯中間は先進と後進の両端をつかんで、中間的大多数を導くこと。)」というゴチックの文字を女の裸の落書きのように並べた作品である。社会主義の道を忘れ、「経済活動」(金儲け)にばかり走る党を皮肉ったものだろう。
黄鋭の「不遜ないたずら」は「共産党独裁の資本主義」を問題視している。
そして 06 年 12 月、798 大山子芸術区の中心的アーティスト、当国際芸術節の芸術プロデュ-サー
である黄鋭に対して、798 芸術区物業管理部門「七星集団物業中心」から退去命令が出された。理由など詳細は明かではないが、大山子の建物の借料が 3 倍に跳ね上がったという。かつての廃墟、大山子 798 工廠は観光地と化し日本からツアーが組まれるほどの集客凄まじい金のなる木となった。当局は一層の収益を狙っている。芸術区最大の貢献者を追い出して、その成果の全てを横取りするつもりらしい。
僕の友人、反骨のアーティスト黄鋭、僕の研究はここから始まっていて、いつもここに戻ってくる。
僕の北京は黄鋭のいる北京だ。(平成19年5月21日寄稿)
『中国現代アート―自由を希求する表現』講談社選書メチエ、2007 年 2 月刊行中国現代雑貨毛沢東とコインのウォータードーム(牧研究室蔵)
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